第7回イラク国境の難民キャンプ医療支援レポートと、
天使になったイラクのこどもたちとニューヨークへ!!
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・第1回報告 加藤ユカリ ・第2回報告 大向徳子 ・第3回報告 ・第4回報告 中村久美 ・第5回報告 ・第6回報告 大向徳子 ・医療支援報告と心臓病のノーランの話 加藤ユカリ ・第7回報告 ・第8回報告 ・第9回報告 加藤ユカリ ・第2回オーストラリアミッション 大向徳子 ・第10回報告 加藤ユカリ ・第11回報告 加藤ユカリ |
加藤ユカリ |
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2007年9月のヨルダンはまだラマダン中。
日中ずっと絶食だから、街の中はみんないらいらしてクラクション、ブッブー!
でも、夕方からごちそうの準備でみんなそわそわ、デイナーはすごいごちそうを
家族で食べるのだ。 |
ホテルのレストランや、イラク人家族のおうちなど、いろんなところで、ディナーはみんな楽しそうだ。こどもたちは踊り、女の子はぺちゃくちゃ笑いながら集まってくる。
イスラムの人たちって、素朴で陽気な人が多いんだな。
今回の難民キャンプは、元サッカー選手の中田英寿さんという方も一緒にきてくれた。私は、この人の名前も顔も知らなかった。
難民キャンプの人たちの喜ぶ反応をみて、世界中に人気の素晴らしい方とはじめて納得した。
でも、今回何より「サッカー」・・・スポーツというものの偉大さを知った。
今回のヨルダン行きは、スマイルからは薬剤師の徳子さんと看護師の久美さんとの3人だ。
現地で佐藤真紀さんとJIM-NETのインターンの加藤たけくんと合流した。
ずっとヨルダンでラマダンを過ごしていた真紀さんは、すでにやつれていた。
NGOで働く人の保障や福利厚生って、どうなっているんだろう。
「本物は安い。」という言葉を真紀さんを見てて思いだす。
ニュートンはただで万有引力の法則を発見したが、莫大なお金で国立研究所をつくったら世紀の発見はなくなったと。 今の真紀さんは自分のすべてを苦しむ人に捧げる「幸福の王子」だ。 |
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アンマンに到着してすぐに、1歳のコマール君に会いに 赤十字病院へ行った。
前回キャンプであった彼とは別人のように明るい笑顔で遊んでいる。
とうとうヨルダン国内で水頭症の手術をしてもらえたのだ。
お母さんは、とっても喜んでいた。
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わたしたちの姿が見えなくなるまで、天を仰いで、神のご加護をと祈ってくれていた。
・・・神様、ありがとう。
4歳のハイダル君の家へ行った。 前回、境野先生チームが訪問した。赤ちゃんのときにイラクで爆弾を浴びて足に大やけどを負い、皮膚が拘縮し、歩けなくなっていた。
訪問後、現地NGOのカリタス・ヨルダンにお願いに行ったところ、すぐに対応してくれて、手術をしてくれたのだ。手術代ももってくれた。
お兄ちゃんと元気に走り回る彼の姿を境野先生に見せてあげたい。
心臓病のノーランちゃんの家にも行った。
「以前は、『そのとき』(ノーランの寿命)のことだけを考えて生きていた。今は、発作もおこさなくなり、主治医からもとってもよい状態といわれています。家族みんなが幸せに過ごしています。」
かわらない幸せな状況をみてほっとした。
3日後のノーランの誕生日にきてほしいと言われた。
生まれたときから「もうすぐ『そのとき』が来る」と医師から言われていたのだ。
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ハニーンちゃんと大切なお人形 |
難民キャンプへ行くまでの数日は、またイラクからアンマンに逃れて生活している都市難民と呼ばれるひとたちを往診した。
自身もイラク人男性の知り合いのネットワークで病気で困っているこどもたちとどんどん会わせてもらった。世界から見捨てられているこどもたち・・・。
表にでては、イラクに帰され殺される・・・。ひっそり生きるしかないひとたち・・・。
卵巣がんの11歳の女の子。名前はハニーン。
手術はしたけど、そのあとの化学療法が受けられず、腹水もぱんぱんになっていた。私たちがくると、お気に入りのお人形を出して見せてくれた。かわいい絵もかいてくれた。
「テニスがしたいの?」
「うん。」
弟たちのめんどうをよくみる、かわいいおねえちゃんだ。
「お金」の理由で、生き延びることをあきらめているなんて・・・。
20日に1回、1回6万円の治療費とこの子の未来と、
その重みは天秤でははかれない。
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私たちがやっている小さなことは甘い「支援」ではなく、「償い」であるはずだ。
「ごめんなさい。」をするのは政治とかぬきにしても、純然たる人間としてあたりまえだ。
なんでイラクの人たちはみんな、わたしたちに、笑顔で、あるいは涙を流して「ありがとう。」というのだろう。
「あなたたちは『ありがとう。』って言うんじゃなくて、私たちが『ごめんなさい。』と言わなければいけないんです。」と言っても、みんな、ただただ「ありがとう、ありがとう。」
「報復」よりも「無邪気な感謝」のほうが、胸に突き刺さる。
「良心の連鎖」を発しているのは、私たちではなく、
まぎれもなく『イラク人』の方だ。
遠い国のこどもたちではなかった。
その「とてつもない結果」のリアリティとは、破裂し、お腹中にばらまかれた癌細胞により、かわいい体にそぐわない、ぱんぱんになったお腹だ。
その現実が目の前にいる。
その声、その笑顔、やりたいスポーツ、タンスからだしてきたお人形・・・日本にいる私のこどもたちと全くかわらないではないか!
難民キャンプへ行く日がきた。 朝4時30分に出発し、別のホテルで中田さんをピックアップし、砂漠の一本道を東に向って走る。
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道中のマーケットで難民の人たちからのリクエストの靴を大量に買った。
中田さんが難民のこどもたちにあげるためにもってきたサッカーボールを店のおじさんがしきりに「自分の1歳の息子にくれ。」と言ってきた。
「だめだめ。」とみんな怖い顔。
店先にトマトとキュウリがたくさん置いてあった。
「アブー、野菜もって国境こえられる?こどもたちに新鮮な野菜を食べさせてあげたいのよ。」
あの子たち、じゃがいもばっかり食べている。ビタミン不足だ。
すると中田さんが、店のおじさんに「サッカーボールと野菜をトレードしよう。」
おじさんはビニールの袋をくれて、「好きなだけもっていっていいよ。」
夢中でトマトを袋に詰めた。
1個のナイキのサッカーボールが100個のみずみずしいトマトとキュウリにかわった
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そのあと、小さな弟を一応、診察した。お姉ちゃんが癌であったのもあり、一応、リンパ節とかおなかとか触りたかった。けど、その必要はなかった。
ナカタさんが「健康ですか?」と明るく声をかけてくれた。
生命力がみなぎっていた。
医者は必要なくなった。
きっと、この家族は力強く生きていくと確信した。
例のごとく、わずらわしい手続きを繰り返し、国境をこえて、ノーマンズランドへ到着した。
みんなにまた会えた!
BIG HUG!
さあ、クリニックをやろう!
あれ?
みんな集まってくれない。
みると、みんな、「ナカター、ナカター。」といつまでもナカタさんに群がっている。
通訳の人に「早く仕事しようよ。」といっても
「あとから。」
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「心配しないで。入院できるようにお願いするから。
I promise. 約束します。」
女性は力をふりしぼってわたしの手にキスをした
仮設診療所にもどると、たくさんの患者さんが待っていた。
またすごいスピードで診療。
徳子さんと久美さんの、キャンプでの診療の腕が確実に上がっている。
今度から、「そのへんのどんな医者」を連れていってもこの二人のフォローでなんとかなるだろう。「そのへんの医者」の第一弾が自分だったりして。
たけくんは、通訳しながらビデオもとっていた。
彼の通訳は、すごく共感的なので、みんな安心して彼に訴えていた。
ナカタさんも明るく声をかけてくれた。
難民の人の話を真剣に聞いていた。
真紀さんはやっぱりいろんなところで「マキ、マキ」と呼ばれ忙しそうだ。
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徳子さんと久美さんの、キャンプでの診療の腕が確実に上がっている。
今度から、「そのへんのどんな医者」を連れていってもこの二人のフォローでなんとかなるだろう。「そのへんの医者」の第一弾が自分だったりして。
もう帰る時間だ。もう時間がない。いろんな人が次々訴えてくる。
重症なこどもが優先だ。
ひとりの男性がテントの中で動けない35歳の妻をみてほしいと言う。
あー、行けない
今回はすごく短い。すると、さっきまで元気にお手伝いしてくれていたイマーちゃんが急に、「右肩が痛い。」と言い出した。かわいい顔を精一杯ゆがめて、とっても痛そうに腕が上がらないと。
私は整形は苦手なので、ナカタさんに診察してもらった。
テントの内外で難民の人たちとナチュラルに交わっていたナカタさんは快くみてくれた。
明るくおしゃまな彼女もこの生活のつらさを7歳の小さな肩にしょってるんだ。
ノーマンズランド・・・誰もいないはずの国・・・世界はここを見捨て、この子たちの未来を否定しているんだ。
いろんな大人の過ちを世界は蓋をしようとしても、この子たちの輝きは、それをさせないぞ。と言っている。
残念ながら、私たちの国はまだまだこの人たちを受け入れる段階には進化していない。
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砂漠の中の夕日は優しかった。
みんなでレストランに寄った。お仕事のあとのアラビア料理はやっぱりおいしい。
ナカタさんだけラマダン中。水も飲まない。
目の前で自分たちばっかりごめんなさい。
ナカタさんは、心の中に国境のない人なんだな。
こんな人種が増えたら、戦争ってなくなるのにな。
「医療」だけじゃなかった。
国境をこえて、人々の内なる生命力を引き出し、輝かせるもの・・・。
「サッカー」も、スポーツも音楽も、絵も・・・。
国境のないもの・・・きっとほかにもあるはず。
これからも、心に国境のない人たちと国境「BORDER」をこえたい。
ナカタさん、難民のみんなに「希望」をくれてありがとう。
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でも二人ともちょっと疲れ気味。
タクシーの運転手が「アラビア人は爆弾もってるから、何考えてるかわかりませんもんねー。」
愛らしい罪のない病気のイラクのこどもたちを思い出し、「一羽ひとからげ」にアラビア人を語るそいつを殴りたくなったが、
ステレオタイプなニュースの報道しか知るすべがなかったはずだ。
それが、私たちはこんなにイラクのこどもたちと触れ合える機会をいただいている。
ちゃんと伝えていない私自身の罪が一番重い。
殴るべきはじぶんだ 、と悟り、この気持のまま、ニューヨークへ経った。
「ちゃんと伝えましょう。」徳子さんは涙を浮かべてそう言った。
ニューヨークでは国連総会にあわせ、「劣化ウラン弾禁止」を、「地雷禁止条約」と同じように、世界の条約にしよう、とチャーチセンターへ世界中から、科学者や、NGOの人、医師やアメリカの帰還兵、法律家、世界で初めて劣化ウラン弾禁止国になったベルギーのNGOの人たちが集まった。 イラクで何百万トンも落とされた劣化ウラン弾は、放射能をもち、半減期が四億年、その環境にいつまでも残り、人々の遺伝子を傷つけ、こどもたちや爆弾を落とした兵士などに、白血病、癌、奇形を発症させる。
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「この絵、すごく生き生きしていますねえ。」
明るい日本人女性が声をかけてくれた。ユミコさんといった。
ランチをみんなで食べた。ナホコさんという人にあった。
イラクへの空爆や密室攻撃で被害にあった人たちに緊急支援を続けているという。
でも、何かまだ心に傷をおっているようだった。
私は無知から彼女の心の地雷を踏んでしまった。ごめんなさい。
日本のメディアは何かやり忘れていることがないだろうか。
こどもだって相手を傷つけたら「ごめんなさい」と言えるのに。
お医者さんだってセールスマンだってその後のフォローアップをする。
疲れている彼女しか覚えていない。
こんなに復活して頑張っている彼女をなんで伝えないのだろう。
そういえば、わたしたちにも、テレビの取材依頼はいまだによくあって、放映日時もスタジオに行く日まで決めてこられることもある。もちろん、私たち自身、そんな器(うつわ)ではないので、有り難くも丁重にお断りするのだが、
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夜、真紀さんから電話。
「国連から連絡があって、あの46歳の女性が入院後亡くなったらしい。」
あのときの映像を思い出した。
テントの中で、土の上にマットをしいただけの病床で、私の手にキスしてくれた、息絶え絶えの女性・・・心配そうな息子さんの涙・・・。
でも、国連は動いてくれたんだ。
最後はキャンプの中で世界から見捨てられて、ではなく、入院してから看取られたのだ。
でも、私たちが行かなかったらどうだただろうか?
もっと早く行っていたらどうだっただろうか?
戦争がおきなかったらどうだっただろうか?
これからもあのキャンプの中で大病や大けがの人がでたら、どうなるのだろうか?
その晩は、マンハッタンのど真ん中の小さなホテルで久しぶりによく寝た。
夢の中で「ぺちゃくちゃ。ぺちゃくちゃ。」子供たちの明るい声が聞こえる。
いい目ざめだ。
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ユミコさんが質問した。
「劣化ウラン弾のポジティブな使用法ってありますか?」
すっごいポジティブな人だ。「コンフリクト(戦い)の中にポジティブなアスペクトを」というテーマで平和を研究している。一度のディボースの経験から人生をさらにアップしてきたという彼女ならではの発想だ。
私も徳子さんも、二人で交わした約束通り、ちゃんと伝えた。
「イラク人がここに一人もいないのは残念だけど、私たちはたくさんのラブリーなイラクのこどもたちを連れてきました。
どうか、イラクのこどもたちを忘れないでください。
世界中のこどもたちの希望の光を消さないでください。」
かわいい天使たちにみんなが拍手してくれた。
真紀さんのアピールの重要性を司会の人が強調した。
会場の人たちから、この絵をチルドレン・ミュージアムにして、全米をツアーしよう、とか、世界でもちまわりでこの絵を展示しよう、という話が盛り上がった。
すごい!
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