第4回イラク・ヨルダン難民キャンプ医療支援報告   松本院看護師  中村久美



写真は準備中


写真は準備中
・第1回報告 加藤ユカリ
・第2回報告 大向徳子
・第3回報告       
・第4回報告 中村久美
・第5回報告       
・第6回報告 大向徳子

・医療支援報告と心臓病のノーランの話 加藤ユカリ
・第7回報告  
・第8回報告 
第9回報告 加藤ユカリ

第10回報告 加藤ユカリ
第11回報告 加藤ユカリ

 スマイルでは、これまでイラクの子供たちへ医療支援を行ってきたが、私は遠い日本で報告を聞き、現状を知るだけであった。写真に写る大きな瞳と愛らしい笑顔、苦しい環境に在りながら笑顔を忘れない子供たち・・・

私になにができるのか、写真の中の笑顔の子供たちに逢ってみたいと思っていた。幸運にも今回、スマイルの一員としてヨルダンへの渡航に参加できることになり、事前ミーティングでジム・ネットの佐藤さんの話を聞き、ますます子供たち逢いたいと心を躍らされた。
が・・・その一方で、不安も大きくなっていった。初めての参加、そして・・・よく考えれば、私って日本語しか話せない。こんな私が行って役にたてるのか?

しかし、私以上に心配してくれている方が一人・・そうです、ユカリ先生。
アラビア語の本を貸してくれて、それから診察の合間にレクチャー!!私は聞いたことのない言葉に「ウーッ」ユカリ先生「シュクラン」だけで行ってきます。(ごめんなさい)

アンマン市郊外の空港に降り立って見わたすと、日本とはあまりにも違う風景に驚いた。砂漠の中に背の低い緑がまばらに見え、白い建物!ヨルダンに来たんだなぁ、と改めて実感する。町の中は、車が多く、坂道も多い。みな忙しく動いていると感じる。そしてほこりっぽい。気温は高いが、湿度が低いせいか、標高が高いせいか、風は気持ちよく、暑いと感じない。(松本と同じかなあ)

早速、都市難民の家庭訪問のため前回も同行してくれたカリタス教会のハイジさんと会う。日本で見るニュースに数年前にはあれだけ取り上げられていたイラク問題が、今ではあまり見ることもなくなり、人々の関心も薄れて支援が減っているという現実を聞いた。今、500人以上も登録のある難民のサポートをハイジさんはひとりでこなしている。はっきりとした住所がないため、予定している家庭を訪問するのはとても難しいという。ハイジさんの案内で何軒かの家庭を一緒に訪問することができた。最初に訪ねた家で出会った子の名前はノーラン。祖父母と父母、妹の6人家族。学校が好き。でも、この日は体調が悪くて休んでいるという。母が連れてきたその女の子は、顔色が悪く「えっ」と思わず声がでてしまうくらい四肢末端はチアノーゼで黒くなり、ばち状指。これで学校に行っているの?ウソでしょう!先天性の心疾患を持ち、十分な治療を受けられずにいる彼女には笑顔はない。とても悲しい気持ちになった。(心臓病のノーランちゃんについては、手術が受けられるように、ヨルダンの医師や NGOと連絡をとりあいながら、日本のあけみちゃん基金などにお願いしたり、動いているところです。日本のみなさんのご協力、お願いします。)

翌日、アンマンから5時間の国境の難民キャンプに向かった。アンマンを出発して町が遠くなりはじめると家がポツポツと点在するだけの景色となり、砂漠が目の前に広がり始める。一本道にはトラックが目立ち、道端には時折、果物を売る商人がきれいに品物を並べてイスに座っている。人の気配も消えたころ、銃を持った兵士にバスが止められる。これからの出会いに少し浮かれていた気持ちがたちまちピーンと緊張し、思わず姿勢を正してしまった。そして難民キャンプに到着。人々はとても友好的で笑顔で迎えてくれた。広い敷地内には、それぞれの家族が建てたのか形の違うテントが作られている。その中にある大きなテント内で私たちは健康診断を行った。子供たちがどんどん集まってくる。ある子は兄弟で、ある子は父母と。私がどうしても逢いたかった笑顔がいっぱいある。なかには、第3国へ移民できることが決まっている子供もいて「来週、ここを出ることができる」と嬉しそうに話してくれた。小さな子供を持つ母親はたくさん相談したいことがあって、長い時間をかけて先生と話していた。日本のように物がすぐ手にはいる理由ではない。でも最低限の暮らしの中で子供たちにとってどれだけ良い環境をつくれるか、育児ができるか、親の顔や目は真剣そのものだった。先生たちも「はいこれまで」と話を打ち切ることなく、親が納得するまで話しこんでいた。子供たちは、自分の番を待ちきれず、そのまわりを取り囲んでしまう。時々、私をツンツンとつつき笑顔で何か声を掛けてくれる子供がいる。でも、お互いに相手の言葉が分からずジェスチャーゲームのようになってしまう。通じたのかあきらめてしまったのかそのうち離れていく。充実した時間はあっという間に過ぎ、健康診断終了後に現地の担当医に診察の報告と精査の必要な子供たちの引き継ぎを行った。

今回、初めての経験ではあった。一人の人間として、言葉ではうまく話せない大きな経験をしたと感じている。しかし看護師として何ができるか、何を継続していけるかまでには至らなかったことは、とても残念だった。帰国後、松沢先生より助言を頂き、何かひとつの物をとりあげて医療従事者の目で見たとき、そこからケアが生まれることに気づかされた。これからも続く支援のなかで自分に何ができるのか、何を必要とされているのか考え、少しでも力になれたらと思っている。