第二回ヨルダン難民キャンプ医療支援についての報告 加納 昭二 第一回報告はこちら 1、全行程日時 2005年9月1日〜9日 2、 参加者 松澤重行医師、森田昌雄医師 大向徳子薬剤師 加納昭二 (以上スマイルこどもクリニック) 通訳 錦田愛子さん 吉野 都さん(JVC看護師 コーディネーター佐藤真紀氏(JIM-NET)・原文次郎氏(JVC) 3、 医療支援場所 ヨルダン ルウェイシッド難民キャンプ その他 ヨルダン首都アンマン内の都市難民家庭 |
・第1回報告 加藤ユカリ ・第2回報告 大向徳子 ・第3回報告 ・第4回報告 中村久美 ・第5回報告 ・第6回報告 大向徳子 ・医療支援報告と心臓病のノーランの話 加藤ユカリ ・第7回報告 加藤ユカリ ・第8回報告 ・第9回報告 加藤ユカリ ・第2回オーストラリアミッション 大向徳子 ・第10回報告 加藤ユカリ ・第11回報告 加藤ユカリ |
D 今回は2回目ということもあり、難民の方々のフィジカルデータの記録・整理・抽出・保管等の問題がクローズアップされた。仮に第三国に行くことが決まったとしても、難民の方が自身のあるいは自身の子供の蓄積された情報をもっていれば役立つはずである。健診の終了後、現地統括者・医師とのミーティングの場において、現地医師から子供たちの接種ワクチン調査依頼があった。私どもとしては、健診前に言ってくれたらという思いが強かったのであるが、日常できることもできていないのが現状のようだ。当キャンプで上記の問題を改善していくには、UN、そして実質キャンプの統括者であるハシミテ財団、さらにUNとの契約にもとづいて福祉活動をしているNGO「ケア」とが綿密な連携をとりながら一元化の方向でことにあたる必要があるようだ。 |
私の願いは、、、 大向 徳子 |
現地で今回もコーディネーションを引き受けてくださったJIM-NETの佐藤真紀さんと合流し日本国際ボランティアセンター(JVC)の原さん、井下先生等の親切なお世話もありとても心強いスタートとなった。
1日目、今日は朝からイラク難民支援を行っているキリスト教関係のNGOであるCARITAS JORDANを訪問した。この日は、現地でボランティア活動中の看護師吉野都さんのお世話で、キリスト教系イラク人難民の家庭訪問に同行することとなった。
二班に分かれ、私と森田先生と錦田さんはドイツ人のケースワーカー、ハイジさんに付いて出発した。
いつもと違う、日本からの”ドクトール( Dr.)“が同行ということもあり、初め戸惑い気味だった訪問先のご両親も、Drからの「何か困ったことはないですか?」の一言で、子供の体調について不安に感じていたことが次から次へと出始め、レントゲンフィルムまで見て欲しい...と...。森田先生が診察を終える頃にはご両親の表情も緩み「シュクラン(ありがとう)!」と握手...。
それから次ご家庭へ...隠れ住んでおられる方も多く、記載されている住所は「○○商店の裏のほう...」等等曖昧。尋ねながらようやく到着すると不在。折角なのでそのご近所宅を訪問することに変更!お父さんが「Dr.が来ているのなら学校に行っている息子を連れ戻してくるから見てもらおうよ。」と何やらお母さんと相談中。。私たちも「折角学校に行っているのなら...」っと気遣っていると、「時々咳が出て心配なんだよー」と父。5分後には連れ戻されてきた子が玄関に立っていた。この家には6ヶ月になる赤ちゃんも居て、赤ちゃんの健康診断と学校から帰ってきたお兄ちゃんの診察で、ここでも「シュクラン。」と握手。
この様な30万とも50万ともいわれているイラクからヨルダンへ脱出してきたイラク人難民(都市難民というらしい)に対するヨルダン政府の待遇も日に日に厳しくなっているようだ。前述した様に、隠れ住んでいる人も多いようだが、職に就くことも禁止され、子供たちは学校へも行くことができないという基本的な人権さえ守られていない様な環境の中、病院どころではなさそうであった。お金もないのでよほどひどい状態にならないと病院へは行かないとのこと。。
私たちが家中へ入るやいなや、現状を訴えながら泣き出すお母さんの姿、その横で子供たちはとても明るかったものの、この状態がずっと続くとどうなるのであろうかと不安を感じた。人を信じられなくなりテロリストにでも走らないだろうか...。ケースワーカーのハイジさんは家庭訪問で、お母さんたちが外では言えない悩みを聞きながら精神的なフォローをしているそうだ。私は子供達へも影響を及ぼしかねないお母さんに対するメンタル面のフォローの重要性を痛感した。
9月5日、今日から1泊2日でルウェイシッド難民キャンプへ出発だ。この日まで絶対に体調を壊してはいけないと緊張していたが、無事にみんなと出発できた。タクシー2台に分かれ、アンマンを出発した。アンマンからイラク方面へ300Kmちょっと、灼熱の砂漠の1本道をひた走り約4時間。途中私たちの車がパンクしたり警察に止められたり不安だらけの中、無事にイラク国境近くのルウェイシッド難民キャンプに到着した。地平線の彼方まで続いている砂漠の中にぼつり、遊牧民(ベドウィン族)
のテントの隣にフェンスで囲まれたテントの列が並んでいた。
2月に加藤先生方が訪れたイラク=ヨルダン国境緩衝地帯ノーマンズランドのキャンプはなくなりここに統一されたらしい。生活者の多くはクルド人やパレスチナ人である。
2003年にできたキャンプももう2年経つが、未だ850人程の難民が生活を余儀なくされているらしい。私が行った2005年9月には約300名のクルド系難民がニュージーランドやデンマークへの受け入れが決まった様だ。一方で2年経っても受け入れの決まっていない人々の焦りも強く、キャンプ内はピリピリムードらしい。従って今回はキャンプ内ではカメラ撮影なども控えて下さいとのことだった。
13:30私たちは到着後、松澤先生の指揮の下すぐに診察開始。キャンプの中の診療所は暑さの為か15時で一度閉まり夕方18時からまた再開とのこと。私たちは2月のカルテを照合しながらキャンプ2回目の加納事務長とCaritas看護師の吉野さんが身長体重チェック。2月以降キャンプ内で出産されたと思われる赤ちゃんも居たが、生年月日はお母さんが把握していない状態であった。確かにこの砂漠の真ん中で毎日カレンダーにチェックでもしない限り、日にちもわからなくなりそうだ。
(都市難民の家庭訪問では経済的理由からか“健康診断”というものにあまり理解を示してくれないお母さんが多かったが、ここのキャンプでは、前回ユカリ、隆先生方が啓蒙したお陰か元気な子供たちも沢山やってきてくれた。)
2日間で170人程の子供たちが来たが、夏という気候のせいか、急遽処置が必要な子はいなかったようだ。よかった、よかった。
子供たちは元気だったが、ここでもご両親の不安や焦りが強かった。UNHCRの方の話では、子供が事故でなくなったりしたご事情のある家庭が優先的に出国できている為か、自分の子供が病気や事故に遭えば出国できるのか?との悲しい質問もあるとのこと。虐待などに繋がらなければ良いが...やはり、お母さんたちの心のケアーの重要性を感じた。
今回対照的なイラク人難民を訪問することができた。
@ 住む家はあるが社会から孤立し、子供たちは学校も行く許可が下りず、経済的な保障もない、都市難民。
A 集団のテント生活だが、難民認定を受け最低限の衣食住は維持されているキャンプ。
医療だけを取り上げると、都市難民の方々は病気になっても病院へはかかれない人が沢山いるような気がした。キャンプ内と同じように支援が行き届けば良いのだが...。
現地には難民の子供たちを支援する色々な国の方々が駐在していました。私たちは半年に一度の子供たちのメディカルチェックという形での支援ですがこれを継続し、現地の各国の方々とも協力しながら、「ずっと忘れないで応援しているよ!」というメッセージを子供たちへ送り続けられればいいなと思いました。子供たちが人を信じられない世の中にならないためにも...。
私の一番の願いは子供たちが家族一緒に母国で安心して生活できるような世界になることです。
半年後はルウェイシッドのキャンプも無くなっていますように.....万が一存在していても子供たちみんな元気でありますように...。
2005年9月 大向 徳子