加藤家の自然エネルギー日誌 加藤家は、100年ほど前、ゆりの花の球根畑であったところに地主さんの御好意で昨年建てさせてもらった小さな家に5人で住んでいます。日本の材木でつくったその家の屋根には太陽光パネルをつけました。
毎日の発電電力と消費電力の日誌をつけてみたいと思います。
こども3人の5人家族、週末には友達が泊まりにきたり、おじいちゃんおばあちゃんがときどき田舎から手伝いに泊りにきたり、こどもたちのおばがきたり、ベビーシッターさんも・・・また朝からお父さんがお弁当3個つくり、お母さんのつくる夕食も有機野菜で色とりどり、みんなお風呂好き、汚しざかりのこどもたちの洗濯は1日3回、・・・と賑やかでエネルギー消費の多い家です・・・でも太陽光パネルのおかげで意外と電気代は抑えられてます。
みなさんもぜひ、つけてみられては?
6月の消費電力量と発電電力量の比較
7月の消費電力量と発電電力量の比較 |
加藤ユカリ医師のつぶやきブログ・・・ 『放射能除染』 「一人のこどもも死なせない。」「たくさん来院する中のこどもの一人でも重症なサインも見逃さず救うんだ。」・・・そんな思いが空しいくらい、あの日ひと飲みで奪われた小さなたくさんの命。ニュースで、お母さんの「また会えるのはもっと先になるかもしれないけど、それまで楽しく遊んでいてね。」という切ない思いが届きますように。
放たれてしまった放射能・・・たくさんの人たちが除染の努力をしてこどもたちを守っています。
(Youtubeより「子供を守れ!」住民自衛策 始動"放射能除染プロジェクト" をご覧下さい) 私は医師として、何ができるのだろう、と悩む毎日です。
浦安は被災地に認定されたけど、2院とも、24時間灯りをともし続けてこどもたちを守り続け、一人のスタッフもリストラしないで路頭に迷わせない・・・たったこれだけの、今までやってきたことの手を止めないことに専念するだけにいっぱいいっぱいであったことに、無力感を感じています。
今年の4月・・・もう、浦安の24時間オープンは無理かも・・・地域のこどもたちは疎開し、夜間はほとんど急病の子もこない、また数千万円借金しなきゃみんなに給料も払えない・・・もう夜無理して開けている必要ないのかなあ、とある夜、院長たちとミーティングを開いた直後!に立て続けに2台の救急車、同時に待合室の子が急変、結局その夜から深夜明け方にかけて計5台の救急車(普段は年間90台ペース。なぜかこの夜のみ年間1800台ペース!)ERはたくさんのこどもたちの救急処置・・・。
これは何かのメッセージかな、と24時間灯りをともし続けることにしました。
今では、こどもたちは街に戻り、学校も始まり、道路もきれいになってイトーヨーカドーも賑やか・・・街には「がんばろう浦安」のノロシ・・・。
横浜院も、新しく看護師、救命士8名も入職してくれて、みんな明るく子供好きの人たち・・・。熱い思いの優秀な若手医師たちも次々に加わってくれて、
スマイルは、みんなのおかげでなんとか苦境を乗り越えたね!
というところでふと、どこか犠牲になってた自分のこどもが入院したりして、公私のバランスも忘れては行けないとまたメッセージ・・・。
我が家の太陽光パネルは、大活躍してくれています。
誰にも平等に、どこにもありあまる太陽のエネルギー・・・。これを利用する技術を開発した人の能力ってすごいな、と思います。
私たちは、薬を開発し、医療技術を開発し、研究し、エビデンスを出し、医師として検査し、診断し、医師として患者を治し、感謝され・・・
そして、私は、医師として傲慢になりました。
ふと深夜の待合室、小さな赤ちゃん。苦しそうなケンケンという咳。吸気喘鳴。クループだ。今夜はクループが多いね。気候のせいね。喉頭の腫れを抑え気道の通りを良くする吸入。さらに良く効くお薬を飲もう。薬剤師さん持ってきて。嫌がる。泣く。泣いちゃダメ。もっと苦しくなるよ。お薬飲まないなら点滴からお薬を入れようか。もっと泣く。
泣いちゃダメだから、ちょっと落ち着こうか。
お母さん、待合室でだっこしていてください。すぐに行きますね。
お母さんの手に抱かれ、すやすやと呼吸が落ち着く。
お母さんが手にもつ薬をお利口さんで飲んだ!がんばったね。治るからね。
10数年間小児科医をしていて、お母さんの手のひらからは魔法の薬が出ているといつも思います。
優しいお母さんからも、不安そうなお母さんからも、イライラしているお母さんからも、どんなお母さんからも、お父さんからも、乳児院の先生からも・・・その手に触れたこどもは落ち着き病気を治す力をもらっているかのようです。
恋人の手、夫の手、子供の手、友達の手・・・触れていると落ち着きます。
医師でなくても誰もそんな力をもっていると思います。
治療=treatment=手当てといいます。
子供のころ、「お腹がいたい」って言ったらおばあちゃんが「親の手、親の手」って言ってお腹に手をあててくれたら治った記憶があります。
|